夏の自然 あれこれ





晩夏 夕陽の雀合戦 - 美濃平野部 -






岩煙草(イワタバコ)-揖斐谷-

岩煙草は俳句の季語としては晩夏。梅雨明けが近づく頃に岩に張りついて花を咲かせていることに気づく
葉がタバコの葉に似ていることから岩煙草と呼ばれている

度々触れているように私にとってはこの花は「蛭(ヒル)」と同義語
くわばらくわばらと早々に退散するに限る






小三條(コミスジ)-揖斐谷-

梅雨明け目前の早朝、グライダーのように滑空するミスジチョウに気づいた
ミスジチョウにしては小さいなと思いながらよく見ると、前翅の1列目の白線が途切れていることからコミスジであることが分かる
ありふれたチョウで、今年何回目かの遭遇だった






深山烏揚羽(ミヤマカラスアゲハ)-揖斐谷-

ミヤマカラスアゲハの吸水行動
時として群れとなって、またクロアゲハが混じったりして吸水する姿が見られるが、この日は1個体だけで吸水していた
吸水行動はオスに限られるという。その理由についてはさまざまな説があるようだ






■ 塩屋蜻蛉(シオヤトンボ) -揖斐谷-

シオカラトンボに似るが太めで全長はやや短い
オスの目は深いブルー色で美しい






■ 柿蘭(カキラン) -近江平野部-






■ 柿蘭(カキラン) -近江平野部-






■ 瑠璃立羽(ルリタテハ) -近江平野部-

タテハチョウ科に属するチョウで、ルリタテハ属ただ1つの現存種という
1年に数回発生し、暖かい地方では6-7月、8月、10月の発生とされる。この個体は今年最初の発生のものと思われるが、冬でも成虫で越冬するため、揖斐谷でも早春に活発に飛んだり、見晴らしの良い大きな石などにとまって縄張りを主張する様子をよく見かける

表翅には瑠璃色の鮮やかな帯が入るが、翅の裏は全く地味で、落ち葉と見間違う
上の写真は看板に止まった瑠璃立羽。最初は翅を閉じていたため、雨に濡れた落ち葉が貼り付いているのかと思ったが、翅を広げた姿から瑠璃立羽と分かった






■ オオアオイトトンボ -近江平野部-









■ 合歓の花 -揖斐谷-


 合歓の花おもひでが夢のやうに 山頭火
   昭和8年7月14日 『行乞記』

梅雨はなくてはならぬものとわかっていても、青空が恋しくなるのもまた梅雨
気持ちが落ち込みがちな梅雨空にこそ、合歓の花はよく似合う

冒頭は種田山頭火(1882-1940)の句。1933年7月14日の『行乞記(ぎょうこつき)』収録、「青空文庫」より引用
山頭火は次の句がよく知られている。国語の教科書で初めて知ったように思う

 分け入つても分け入つても青い山
    『草木塔』

合歓の花にカメラを向けていると、ふいに山頭火に合歓の花を詠んだ句があったことを思い出した。そして昨年5月末だったかラジオ深夜便で放送されていた山頭火が思い出された
それは金生山ヒメボタル観察中につけていたラジオから流れてきた、「ラジオ深夜便」の「絶望名言」だった
聞き逃し配信は終わっていたが、この回の放送はNHK「読むらじる」に掲載されていた。『種田山頭火の「絶望名言」前編』(「ラジオ深夜便」放送日:2023/05/29)
https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/zet20230529.html
5月29日の放送とあり、まさしくヒメボタル観察中に聞いた番組にちがいなかった

出演者は頭木弘樹氏(文学紹介者)。同番組での頭木氏の紹介によると、山頭火は1923年(大正12年)に湯島で関東大震災に遭遇し焼け出されたばかりか、憲兵や特高の社会主義者弾圧に巻き込まれ誤認逮捕、巣鴨刑務所に留置され死と隣り合わせの経験をしている

手元にある西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』を繰ってみた。この書には公的資料に残された記録だけでなく、市井の人々の証言、朝鮮人の証言、文化人らの証言、子どもの作文なども収録されている。文化人としては志賀直哉、芥川龍之介、高群逸枝、黒澤明、佐多稲子らの他、岐阜県に関係ある文化人として越中屋利一の証言も収録されているが、残念ながら山頭火に関する記録は見いだせなかった

越中屋利一については、機会を改めることとする

合歓の花からずいぶんの脱線となった